脱サラ後、なかなか道が開けぬ僕のスマホに、「暗黙の了解」として立ち入りを禁じられていた実家の父から電話が入った。
近所に暮らしながらも、ここ数カ月会っていない。
妻と子どもとは国交があるのだが、無職の息子のことは「しばらく顔も見たくない」というのが本音なのだろう。
ところが、父の用件は「話があるから一度戻れ」という意外な内容だった。
嫌な予感がした。
感情に歪む親子の関係
久しぶりにみる老いた両親の姿は、どこか落ち着きがなく、胸が締め付けられるような気分になった。
肩身の狭さよりも、むしろ申し訳なさでいっぱいだ。
親が子を想うのと同様、子も親を想う。
ただ、親とは「自分の自己実現の形」を子どもに託し、大きな期待をかけてしまう厄介な存在だ。
それが「名前の由来」として顕著に現れる。
人生に輝きを求める親は子に「大輝」と名付け、また、潔さを本懐とする親は子に「潔司」と命名したりする。
逆に子が思うようにならないと、本能的なスイッチが入り、感情的になってしまいがちになるものだ。
自分は卑怯なことをするくせに、子どもが同じことをすると「異常に腹が立つ」のだ。
僕も親の立場になって、その点に初めて気が付いた。
それだけに、親子が一旦すれ違ってしまうと、愛情とエゴのはざまで、両者の関係は得てして複雑化する。
「可愛さ余って憎さ万倍」だ。
これはある意味で、仕方がないことかもしれないのだが…。
突然の魅力的なオファーに困惑
テーブルを挟んで対峙する父と僕。
僕:「えっと。話って何かな?」
父:「昔、お前が仕えた親分から連絡があったよ」
「親分」というのは、反社会的組織の長ではなく、僕が勤めていた会社のOBだ。
「ドタキャン上等」のでたらめな振る舞いに、常に周囲を振り回す暴君だったが、人情に厚く、どこか憎めずにいた人だ。
父とは、個人的なつながりがあり、僕よりも仲がよかった。
「バックアップするから会社に戻れ、と。おまえの席を用意するそうだ」
僕は絶句した。
いまだ財界に太いコネクションを持つ「暴君」が後ろ盾になってくれるのであれば、古巣への復帰も絵に描いた餅ではない。
父:「すぐに答えを出せとは言わない。ただ、最後のチャンスだろう。判断はお前に任せる。よく考えろ」
僕:「…はい」
母の目はうるんでいた。
人生への挑戦を決意し、行動に移した僕は、単なる「家出少年」に過ぎないのだろうか。
親や周囲の反対を振り切って僕がとった行動は、本当に正しかったのだろうか。
感謝、意地、戸惑い、後悔の念が入り交じり、まともな判断などできない。
これから待つ現実の厳しさははっきりしているものの、切り開く自信がないわけでもない。
会社を離れるときの決意も生々しく胸によみがえってくる。
「一度しかない自分の人生をとり戻したい」。
できれば成功を収め、同じように苦しむ人の希望になりたい。
40過ぎの大人でも、「親離れ」は大きなテーマだ。
それは、「レールに乗り続けた人生からの脱却」に重なるからだ。
しかし、現実は確かに厳しい。
前にぶら下がるのは、天に続く蜘蛛の糸なのか。
それとも冒険への挫折なのか。
情けない話だが、当時の僕は、葛藤の中にあった。
連載⑮に続く