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ジャーナリストから転身 40代妻子持ちが自由に生きてみた

連載⑭40代妻子持ちが脱サラ生活へ ОBの誘いに揺らぐ決意

退職後初めて決意が揺らぎかけた出来事だった/

脱サラ後、なかなか道が開けぬ僕のスマホに、「暗黙の了解」として立ち入りを禁じられていた実家の父から電話が入った。

 

近所に暮らしながらも、ここ数カ月会っていない。

 

妻と子どもとは国交があるのだが、無職の息子のことは「しばらく顔も見たくない」というのが本音なのだろう。

 

ところが、父の用件は「話があるから一度戻れ」という意外な内容だった。

 

嫌な予感がした。

 

 

感情に歪む親子の関係

 

久しぶりにみる老いた両親の姿は、どこか落ち着きがなく、胸が締め付けられるような気分になった。

 

肩身の狭さよりも、むしろ申し訳なさでいっぱいだ。

 

親が子を想うのと同様、子も親を想う。

 

ただ、親とは「自分の自己実現の形」を子どもに託し、大きな期待をかけてしまう厄介な存在だ。

 

それが「名前の由来」として顕著に現れる。

 

人生に輝きを求める親は子に「大輝」と名付け、また、潔さを本懐とする親は子に「潔司」と命名したりする。

 

逆に子が思うようにならないと、本能的なスイッチが入り、感情的になってしまいがちになるものだ。

 

自分は卑怯なことをするくせに、子どもが同じことをすると「異常に腹が立つ」のだ。

 

僕も親の立場になって、その点に初めて気が付いた。

 

それだけに、親子が一旦すれ違ってしまうと、愛情とエゴのはざまで、両者の関係は得てして複雑化する。

 

「可愛さ余って憎さ万倍」だ。

 

これはある意味で、仕方がないことかもしれないのだが…。

 

 

突然の魅力的なオファーに困惑

 

テーブルを挟んで対峙する父と僕。

 

僕:「えっと。話って何かな?」

父:「昔、お前が仕えた親分から連絡があったよ」

 

「親分」というのは、反社会的組織の長ではなく、僕が勤めていた会社のOBだ。

 

「ドタキャン上等」のでたらめな振る舞いに、常に周囲を振り回す暴君だったが、人情に厚く、どこか憎めずにいた人だ。

 

父とは、個人的なつながりがあり、僕よりも仲がよかった。

 

「バックアップするから会社に戻れ、と。おまえの席を用意するそうだ」

 

僕は絶句した。

 

いまだ財界に太いコネクションを持つ「暴君」が後ろ盾になってくれるのであれば、古巣への復帰も絵に描いた餅ではない。

 

父:「すぐに答えを出せとは言わない。ただ、最後のチャンスだろう。判断はお前に任せる。よく考えろ」

 

僕:「…はい」

 

母の目はうるんでいた。

 

人生への挑戦を決意し、行動に移した僕は、単なる「家出少年」に過ぎないのだろうか。

 

親や周囲の反対を振り切って僕がとった行動は、本当に正しかったのだろうか。

 

感謝、意地、戸惑い、後悔の念が入り交じり、まともな判断などできない。

 

これから待つ現実の厳しさははっきりしているものの、切り開く自信がないわけでもない。

 

会社を離れるときの決意も生々しく胸によみがえってくる。

 

「一度しかない自分の人生をとり戻したい」。

 

できれば成功を収め、同じように苦しむ人の希望になりたい。

 

40過ぎの大人でも、「親離れ」は大きなテーマだ。

 

それは、「レールに乗り続けた人生からの脱却」に重なるからだ。

 

しかし、現実は確かに厳しい。

 

前にぶら下がるのは、天に続く蜘蛛の糸なのか。

 

それとも冒険への挫折なのか。

 

情けない話だが、当時の僕は、葛藤の中にあった。

 

連載⑮に続く